わからないでいる


 

わからないものに相対したときに、一番大切なのは「わかろうとすること」ではなくて、「わかろうとしないこと」だと、ぼくは思う。そして、「まったくわからない」とぼやきながらも、わからないものの前から立ち去らない。あるいは別の言い方をすれば、「自ずとわかる」まで、わからないものの前にわからないまま居続ける。今は、何でもかんでも、最短距離でわかろうとする。そのための講習会が多く開かれ、本が売られ、そのなかで、伝えること・わからせることに躍起になった言葉が、繁茂している。そういうコンビニエントなプロセスを経て「わかったもの」は、とても甘美で、一度味わえば、誰もが病みつきになる。ぼくは最近、そういう理解のしかたや、そのために使われる言葉に触れる、出会うのが、億劫だ。

詩を朗読し続けて、昨年から今年にかけて、やっと、どういうふうに詩を読むのか、その糸口を見つけた。それまでのわからないでいる時間がとても長かったから、わかった瞬間というのはもっと刺激的なものかと思っていたが、実際にはそうでもない。道というのは、元来、なだらかなのだなと、合点がいった。

 

 

 

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