暗いぐらいの家#14 木と石と墓
半年間の連載休止の間に、「暗いぐらいの家」はすでに着工。2018年元旦の段階で、四方向に壁は立ち、屋根には鋼板も施され、外張りの断熱材はおろか、壁の内側への断熱材・セルロースファイバーの吹付作業も完了したところだ。今後は、今月が内壁や内装、来月が外壁という工程表となっている。
というわけで、これからこの連載は、この半年間で進んだ工程を、記憶を遡るように綴っていく。すでに「選択する」段階を終えて、いよいよ「実現」に向けて一つずつ手を動かしていく段階になったから、連載の副題も「実現編」としたい。
さて、連載再開最初のタイトルが「木と石と墓」とは、あまりに無味乾燥、まったく心惹かれないかもしれない。しかし、またしても、この長い前振りの後に続く、迷宮めいた文章を最後まで読んでいただいた方には、このタイトルの持つ奇想天外なエピソードに、満腹感を味わっていただけるだろうと確信している。
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新宅の建設予定地は、背の高い松が生い茂る森にある。前所有者の笠井さん(第13話に登場)が建坪箇所に生えていた木々はすでに伐採・抜根してくださっていたので、その労力と費用は免れたのだけれど、それでも周囲には雑木が深く茂っていて、着工にあたり、まずこの雑木の伐採・抜根の作業が必要だった。
どの木を生かし、どの木を除くか。ぼくは樹木にまったく明るくないから、木の種類もわからなければ、その価値もわからない。その選定を業者の方に聞きながら行いたくて、結果、伐採の現場に立ち会うことになった。
工務店の国興ホームから聞いた予定日に、建設予定地に向かう。着工後は基本的に、この繰り返しだ。天候、建材の調達、人員の確保、現場作業のペースなど、様々な要因で進行が早まったり遅れたりするから、施主自ら立ち会う必要のある重要なポイントに関しては、その都度スケジュールを確認・調整していかなければならず、これが地味に忙しく、心身に堪える。
会社なら、ぼくがいなくても仕事は進むが、ぼく一人ですべてをこなす「してきなしごと」は、ぼくが外出すれば、その間制作・創作の手は完全に止まる。そのタイミングが、先のような要因によって急遽訪れたり、あるいは延びたりするから、よくわからないダメージが積み重なる。この労力に根をあげるようなら、住宅メーカーで家を建てるか、あるいは工務店任せにして、完成後に見つかるだろう違和感はぐっと飲み込むべきだ。と、予定が変わって動揺するたびに、そう自分に問いただして、いまも頑張っている最中だ。
▼建設予定地の土木作業を一手に引き受けてくださった、郷原興業の会長さん。洒落たパナマ帽も目を引くが、耳のイヤホンに注目してほしい。ラジオを聴いているわけじゃない。ハンズフリーで、連絡を取り合っているのだ。「作業の手を止めないで済むだろう?」とのこと。
立会いの日、現場にいくと、洒落たパナマ帽をかぶった男性が切り株に腰かけていた。株式会社郷原興業の会長さんだ。
ぼくは、そもそも、「伐採」という仕事が、どの業種に属する業務なのかを、そういえば理解していなかった。ともに立ち会っていた国興ホームの竹内さんに、「あの方にいつも伐採をお願いしているんですか?」と尋ねると、「いや、もうそれだけに留まらないですね」という。確かに、名刺をみると、「土木・解体工事・収集運搬業・造園工事」とある。すごい。何でもござれだ。
土地の周縁部分に乱立する雑木の要不要を、辿るように歩きながら、手際よく見定めていく。「薪ストーブにするんだろう、じゃあ伐採した木は残しておいたらいいじゃないか。どうする?残す?はいわかった」そんなところまで見当をつけて、チャッチャと決めていく。
▼国興ホームの竹内さんとの付き合いは、長い。この工事中に定年を迎える竹内さんだが、そのなかで、いくつもの仕事を郷原さんに依頼してきた。「何でもお願いできて、仕事も確か。本当になんでもできてしまう。すごい人です」と竹内さん。
伐採する木だけを選んでも、作業はできない。今度は、駐車場は、庭は、道路に面したこの部分は、と、それぞれどこにどう想定しているのかを尋ねられた。「家の外部のことは家が出来てからのんびり考えよう」と、ぼんやりとしたイメージまでしか考えていなかったぼくは、慌てる。なぜそんなことを尋ねられるんだろうと思っていたら、なるほど、整地までしてくれるという。建築建材の運搬、セメント業者や屋根業者の移動など、今後の工程には多くの業者の大小様々な車輌が入ってくる。だから、木だけ切って、いい加減なスペースに木を置いておくわけにいかない。ああ、もう、まったく思いが及んでいなかった。
テキパキと進む一連の作業に必死についていき、いざ、伐採となった。と、会長がショベルカーに乗り込むではないか。そこから先は社員に任せて、指示に回るのかとてっきり思っていたら、なんと現役。アームとハサミを自由自在に操作して、折ったり、倒したり、脱いたり、振ったりして、残す樹木は傷つけず、他の雑木を次々に除いていった。器用かつ豪快なその様に思わず興奮してしまって、あとで確認したら、伐採作業の記録に100枚ほどの写真を撮ってしまっていた。
▼アームで押し倒しながら、タイミングよく掴み、引き抜き、持ち運ぶ。重機なのに、動きはとても滑らかだ。根を張った太い木は、アームの力だけでは足りない場合がある。そのときは、重機全体の重さで、押し倒す。豪快さと繊細さのコンビネーションには、目を見張るものがあった。
さて、郷原さんにお願いしていたのは、ここまでだった。しかし、郷原興業はなんでもできるのである。ぼくはもちろん、国興ホームですら想定していなかった業務を、郷原さんが自ら「任せろ」と名乗り出てくださったのだ。
そう。ぼくはまだまだ「木」の話しかしていない。タイトルには、まだ他に「石」と「墓」がある。最初の写真で、この予兆を感じた方は、観察眼に優れた人だと思う。
実は、建設予定地には、古墳がある。
「古墳のある家」というのは、全国的には珍しいかもしれない。けれど、このエリアでは、それほどではないようだ。「古墳があるんですよ」と、同じエリアに暮らす知人に話すと、「ああ、あるんだね。ここら一帯は・・・」と続くからだ。その通りで、建設予定地のあるエリア一帯は、大きな古墳群となっていて、市の指定史跡にもなっていた。ある古墳は駐車場のなかに少し大きな花壇を、ある古墳は道の真ん中にすれ違う通りを隔てるように、ある古墳は公園内になだらかな丘を形成している。どの古墳も円墳で、歴史の授業で学んだような、どこかの王が眠っているわけではなく、おそらくおそらく名もなき民たちのお墓だったのだろうと市職員からは聞いている。
さて、この古墳。少し扱いが難しい。市の史跡となっているため、掘り返すことができない。植わっている木を抜くと土を掘り返すことになるから、やはりできない。古墳の上にある木を切ることはOKだが、切った後の切り株は抜いてはいけない。掘り返すことができないのだから、当然、盛り土を崩すこともできない。土地全体が傾斜地なので、家を建てるために平地に均さなければならなかったのだけれど、古墳部分は返さず崩さず、綺麗に残す必要があった。古墳を綺麗に残し、か平地に均そうとすると、必然的に、その境界に1メートルくらいの土の壁ができてくる。これが、家の北側に位置している。雨が降れば、土は崩れる。それは家にとっても、古墳にとっても、よくない。さあどうすると、設計士・工務店で案を練ってもらい、結果、コンクリート壁で家と古墳をともに保護するということに決まっていた。
▼建設予定地の北側に、「古墳B24号」は、ある。このフォント、最高だ。
▼市職員から、事情を直接聞く会長さん。実はこの古墳、市道が真ん中を貫いてしまっていて、北側の土地と分断されている。「それなのに保護をしないといけないのか」「自由に使えないのにこの分の税金を払うんか。変な話だ」と、厳しい指摘も市職員に向ける。ごもっともである。市職員も負けるわけにいかなくて、なんとか説明していた。このやりとりも、面白かった。
ところが、それを現場で聞いた会長さんが、コンクリート壁でいいのかと問うてきた。アトリエやギャラリー、別荘が並ぶこのエリアに、コンクリートじゃ格好がつかないじゃないか、と。そしてこうも言うのである。「壁になる石ならいっぱい持っているから、持ってきて、やってやるよ。だってコンクリートじゃ格好悪いだろう?和っぽくならないようにしたい?だったら試しに置いておくから、見てみたらいい。きっと問題ないから。嫌ならやめたらいいさ」
予算内に収まるように、石まで使わせてくれて、設置までやってくれるという。設計士も、工務店も、そしてぼくも、それで見た目が美しいなら、願ってもない。というわけで、急遽石垣の造作までお願いすることになったのだ。
▼もう少し小さい石をイメージしていたら、想像以上に大きく立派だったので、施主・設計士・工務店皆そろって、面食らった。「石」じゃなくて、完全に「岩」である。ちなみに、この日のパナマ帽は、黒だった。複数持っているということだ。粋だ、と思った。
試作の石垣をまずは確認して、ぼくも妻も異論はなかったので、古墳と家を守る壁は、コンクリートから石垣へと変更された。こういうことが起こりうるから、施主自ら現場に立ち会うことが大事になってくる。図面上では綺麗に収まっているものも、立体に起こしたときに初めて気づく、あるいは感じる違和感がある。その場そのときに、施主がいれば、ことはよりスムーズに運ぶのだ。
荷台一杯に大きな石を積んで、ダンプカーがやってきた。ショベルカーには、今日も会長さんが乗り込む。フックから綱の片方を垂らし、綱のもう一方を岩に結びつける。この作業は、社員が行う。一連の作業は、よどみなく、手際がいい。いざアームで巨石を持ち上げると、目的の場所へと運び、割れないように降ろし、噛み合わせのいいように石の向きを転がして変え、すでに置かれた石と石の間に新たな石を押し込んでゆく。入りづらいときは、フォークの先で角を削ったりもしていた。この作業をすべて、ショベルカーのアームで行う。伐採のとき同様、その職人技に舌を巻いていると、隣には、工務店の竹内さんが、やはり同じく、見惚れて立ち尽くしていた。
会長さんの采配によって、我が家の木々は美しく残り、場違いなコンクリートは立派な石垣へと変わり、そしていつか誰かが眠った古い墓は、その姿をこれからも保ったまま、この土地にあり続けることになったのである。