火花を散らす

photo by Koji Moriya / FLATFILE

 

 

器用な人間の苦労するところは、自分の火花を散らすことができない点だと思う。詩にしても、絵にしても、音楽にしても、映像にしても、製品的な美しさと、生命的な美しさとがあって、ぼくは完全に、後者が好きだ。例えば、十年来の友人・田崎和廷さんの灯りや家具が好きなのは、田崎さんの人間性がどうしようもなく現れてしまっているからで、かつ、あの人となりが好きだからだ。人間はその積層の複雑さゆえに変えることが簡単ではないが、上手さは、後からどうにでもなる。孤独に、性懲りもなく、続けれていさえすればいい。

また例に出してしまって申し訳ないけれど、二人の音楽家、五十嵐あさかさん・平松良太さんと開いた公演では、二人の人間性が面白いくらい一音一音に溢れていて、完全に二人に引っ張り上げてもらったとぼくは思っている。火は燃え移るものだ。もし自分を褒められるとしたら、そこにちゃんと酸素を送っていたことか。(二人ともこの春演奏会がある。よかったら是非。)幼い頃、癇癪持ちだったぼくのことを、「いずれこの子は新聞沙汰になる、と思っていた」と、母から聞かされた。自分でも自分自身に危険性を感じて、若い頃は、その火種に水をかけ続けてきた。しばらくして、もう大丈夫かもしれないと思っても、長い時間そうしてきたから、きっかけが摑めなかった。あの公演は、まさにそのきっかけだった。

燃える火のあり方も、様々だ。キャンプファイヤーのように、大きく燃え盛る火の魅力もあるが、ぼくのはきっと、燠火だろう。煤けた木のなかに揺れる火は、見た目は小さいけれど、その熱はキャンプファイヤーのそれにも勝る。あの荒々しい生命感を、詩に、線に、声に潜ませて、表現したい。3月18日から始まる個展でお披露目する新作は、その筆頭となる。

 

2017.3.18〜4.2
個展「してきなしごと」

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