Scotland #08

 

ぼくのlisteningが正しければ、Moiraが藤澤先生に出会ったのは1980年だったという。ぼくが先生を知った頃には先生はすでに白髪混じりの婦人だったから、ぼくのまだ生まれていない1980年の先生を想像しようにもできなかった。藤澤先生とは、ぼくが幼少の頃にpianoを習った先生。桐朋学園音楽科の第一期生で、卒業後は学園や附属音楽教室で教えながら、recitalを行なっていたのだそう。ぼくが出会った当時、先生は他の大学講師をされていて、子ども向けの教室も大学で開いていたのだと思う。教室に通うためには、試験があった。ところが受験当日、ぼくは風邪で受けられず、妹がしっかりと合格。妹さんがこれだけ上手ならと、ぼくまで通えることになった。妹、様々である。にもかかわらず、練習も十分にしないぼくだったので、lessonは毎回怒られるために通っていたようなものだった。申し訳ないことにpianistにはなれなかったけれど、今でもpianoの音色にどの楽器よりも心が動くし、先生がそのすべてで伝えてくれた、美しいものに対する執念にも似た愛と誠意ある態度は、ぼくの核心になっている。当時はひたすら「怖い先生」だったが、いまぼくのなかではただ一人の「恩師」だ。その先生の30年来の大切な友人であるMoiraが、Englandから娘さんのLesleyとともに、はるばる個展を観に来てくれたのだ。杖をついても少しの段差でよろけるような足なのに、坂の上り下りが急なEdinburghを歩いて。galleryに入るや否や、まっすぐにpostersの前に立って、じっくりと7編の詩を読み、好きな詩を数編指差して、このsentenseがとてもとても美しいわ、このdescription, 私たちは使わないけれどかえって不思議で独特でとてもいいと思う、と感想を教えてくれた。Moiraと先生の出会いの話、先生がlaceworkの達人であること、先生から届く和紙の葉書(だと思う)がとても好きなこと、銀座や京都へ行った日の思い出、Moiraの家族の話。Greyfriars Bobby’s Barでlunchを食べながら聞いた思いの詰まった話が、いまもまだ心に残っている。Scotlandは、日本から決して近い国ではない。昨年今年とやってきて、来年は難しいかもしれないと実は心が折れそうになっていた。現実という厚い雲は、いつでも夢の原野に暗闇を広げることができる。でもMoiraに会って、こんなにも詩を、そしてこの出会いを楽しんでくれたことに触れ、またここに来なければと思い直すことができた。感謝したい。この気持ちを日本から、いずれ届けることができたらと思う。また先生にも。不出来な生徒だったけれど、そして音楽とは異なるかたちにはなってしまったけれど、この恩を返したい。詩を書き続けなければ、と強く思う。

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