暗いぐらいの家 #6 森へ、深く

さて、どうやって生きていくか。自分をとらえることに必死だったウチダ少年や、仕事の意味を解釈し倦ねていたウチダ青年は、その問いが後生ついて回るものだということを、想像だにしなかっただろう。

問いは、人生という海原で、まるで大きくうねる波のようにたびたび現れる。波のない海はない。海を渡る船乗りは、そのつど命をかけて波を越えなければならない——岸辺にたどり着くまで。もしかしたら、岸辺のその先にも、まだなお、問うてくるものがあるかもしれない。ある問いは強く吹きつける風のように、ある問いは高く聳える山のように。

 

 

 

 

▼2009年冬。いま暮らす松本の貸し家とぼくらが初めて出会った、瞬間。

 

▼「してきなしごと」の看板は、開業以来、ずっと小さなまま。

 

▼雪化粧した里山辺。7年間、一つずつ、洗い流してくれた。

 

 

 

7年前の、12月。妻とふたり、松本へやってきたぼくは、まだ今ほどに高い注目を集めていなかったこの町で、それまでなかなか実現できずにいた、ひとつの姿勢で暮らすことを、目指した。それが、「正しさから始めない」姿勢だった。

移り住む前、ぼくが東京で出会ったひとや思いは、どれも美しく、決して邪なものではなかったけれど、正しいがゆえに、ときに正し過ぎて、乱暴だった。ぼくも若くて、ラディカルなものに惹かれて、同じように乱暴だったと思う。「正しい」と妄信されて放たれる言葉ほど、醜いものはない。

強い力とともにいると、どうしても飲み込まれてしまう。だから、東京から必ずしも近いとは言えない、程良い遠さのあった松本へ、越してきた。松本は、ひとつの言葉で修飾できてしまうような、薄利多売な町ではなかった。コピーが付きづらい商品は、いわゆる分かりにくい商品だから、基本的に売れない。ぼくはそのほうがちょうどいいと思った。ここなら、「正しさ」からも、「何者」からも離れて、自己中心的な日々を過ごせる、と思った。

実際に、松本は、ぼくの実験を煙たがることなく、放っておいてくれた。「詩を売る」ことに眉をひそめず、むしろ面白がってくれさえした。いまのウチダゴウがあるのは、この町の人たちのおかげだ。

 

 

 

 

▼2016年冬。これから始まる新たな暮らしを、この山々とともに。

 

▼予定地の周辺を歩く。静謐な森から、深い呼吸が聞こえてくる。

 

▼冬へ向かう大地。ゆっくり、確かに、立つ。

 

 

 

早ければ来年中に、松本を離れて、少し森のほうへ、移り住む。

目的はただひとつ。もっと深く、もっと静かに。「詩を書く」とか「詩を売る」といったことから、少しずつ、「詩である」ことへ、重心を低くする。商売としての視点は今までどおり持ちながら、より藝術としての表現を掘り下げてみたい。よりまっすぐな、詩のありかたを成り立たせてみたい。そんな深みから生まれる詩やデザインを、届けられるようにしたい。

次なるステージの風景を見せてくれたのは、松本に移り住むことで出会った、多くの人びとだ。個人でお店を営む、同世代の店主たち。畑は違えど、それぞれのスタイルで表現をし続ける作家たち。そして、ぼくの詩やデザインを楽しみに待ってくれる人たち。

仲間たちとこれからも切磋琢磨するために、あの人たちの期待にこれまで以上の作品で応えるためには、それに適う静謐な居場所を、自分自身でつくる必要があった——7年前と同じように、波が問うてきたのだ。ふたたび、舳を立てるときが、やってきた。

 

連載『暗いぐらいの家—構想編』では、自分史上最高の居場所をつくるにあたって、何が心地よく、何が重要なのか、それはどんな経験と思いに起因するのかを、小さな冒険譚のように辿らせていただいた。嬉しいことに、連載は、12月以降も月1回のペースで継続することが決まった。これからは、いよいよ、具体的な話をしてゆけたらと思う。どんな間取りで、どんな灯りで、どんな風を受け、どんな暖かさを感じ、どんな道具とともに暮らすのか。迷い、選んでゆく様を、記録集のようにして、お届けしたい。

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