暗いぐらいの家 #2 屋根裏の部屋・半地下の部屋

 

屋根裏部屋。これまで3年通い続けているスコットランドだが、ぼくにとっての初めてのスコットランドは、この部屋が始まりだった。ぼくがいま構想する家は、もちろんさまざまな細片に影響を受けているのだけど、この部屋・この家で過ごした2週間が、ベースになっている。

 

世話になったスコットランド人夫婦のフレイザー家は、エディンバラの中心地から南へ20分ほど歩く、閑静な住宅街にあった。

短い石畳のエントランスを進んで、深緑色した木製の玄関を開けると、厚い絨毯の敷かれた階段が続く。上りきった先にはもう一枚ドアがあって、開けると、キッチン、バスルーム、リビング、子供部屋、寝室、それぞれの部屋に通じる、踊り場がある。一通り部屋の説明をしてくれたのは、妻のフィオナ。それでね、ゴウの部屋はこっちよ、と木製の戸を引いた。短い階段をのぼると、屋根裏部屋が広がった。

大きなベッドがひとつ。ハンガーラックがふたつ。フロアスタンドと、ベッドのサイドボードにデスクスタンドが、ひとつずつ。部屋の隅に、詩を書くのにはちょうどいいくらいの机が、ただひとつのトップライトのすぐ下に、置かれている。朝には朝露がその窓を伝い、少し開けると、庭の鳥たちの声が響く。窓の向うにみえる同じかたちの家の煙突には、セグロカモメたちが、風見鶏のように、静かな風のなかを佇んでいる。階下から時折、フィオナのまだ小さな娘が、母親に懸命に話しかけていて、紅茶のなかの砂糖みたいに、細かく高いキラキラとした声が、洩れて聞こえてくる。

とても簡素なこの部屋は、物語のための余地があって、すぐにぼくのお気に入りになった。街を歩いて、心が留まる風景を写真に撮って、帰ったら、この机で夜更けまで詩を書く。帰国後に作品となったポスター『スコットランド七編詩』の詩たちは、この静かで“ちょうどいい”部屋で生まれた。

 

 

 

 

▼向うへ行ったら、まずは数日歩き回って、詩を書くのに適したカフェを探す。行きつけのカフェは、その日満席状態だった。店の奥に辛うじて残っていた席を見つけ、詩を書いていた。ふと横をみると、そこには小さくとも美しい風景が。「still」が「まだ」だけじゃなく、「静かな、しんとした」という意味もあると知ったのは、この場所だった。

 

▼中世には公開処刑場だった場所は、今パブが立ち並ぶ繁華街。黒土の煉瓦でできた建物のせいか、重々しい雰囲気が漂うエディンバラも、ここは賑やかで、騒々しい。そんな場所でさえ、照明は必要最小限で、夜は暗い。夕方に降った雨が止むと、少しピンク色に頬を赤らめたスコティッシュブルーの空が、何にも邪魔されず、広がった。

 

▼これまで何度も言われてきたことだが、ネオンやサインがないだけで、こんなにも美しい風景、美しいいっときが生まれる。日本のネオンやサインも趣のあるひとつの風景ともいえるし、そこにだってもちろん「詩」はあるのだけれど、何を大事にしているか、そうしたポリシーが明確なのとそうでないのとでは、大きな違いがあると思う。

 

 

 

 

 

フィオナが両親を訪ねると聞いて、スコットランド北部・ハイランド地方のある村へ、一緒に出かけた。フィオナの父親・ハリーは、ただ一人の、英国王室御用達の釣竿職人だった。若い頃、長く人の住んでいなかった家を、石を積み直すところから再建し、この家を完成させた。フィオナはここで育った。子どもたちが巣立った後も、彼女の両親は以来ずっとここに住み続けている。

 

ぼくが泊めてもらった一室は、普段ハリーがテレビやDVDを観たり、賑わう娘たちの喧噪から逃れたりするための、いわば娯楽室で、半地下の位置にあたる。とはいっても、ハリーの家はちょっと複雑で、崖の上と下に股がるように建てられている。だから、半地下の部屋も崖下の庭と地続きになっていて、庭からの光が、小さな2つの窓から差し込む。

この日は、フィオナの妹夫婦も来ていて、地下を覗くと、まだ春も浅いというのに川遊びをした彼らの家族・ジャックラッセルテリアのフリンが、暖炉の前で体を温めていた。暖炉の上には、ハリーがまだ若い頃に使っていた木製のスキー板が飾られていて、淡い日差しと揺らめく火の灯りで、その影が伸びたり縮んだりして、美しい。

もちろん、夜は地上階より暗くなる。でも、絶えず燃えつづける暖炉と、布団(ハリーは日本でも仕事をしていたからだろうか、布団がある!)のそばに用意されたライトスタンドで、採光は十分だった。それに、この部屋には灯りがそれほど必要なかった。なぜなら、ソファで横になって眠りに落ちたり、独り物思いに耽ったり、つまり瞳を閉じる場所だったから。

家族が団らんする場所。朝食・夕食を共にする場所。独りになる場所。寝る場所。そこに暮らす人たちにとって、“ちょうどいい”、足りる分だけの質と量で、すべてが造られていた。

 

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食文化も、日常の生活も、人とのかかわりかたも、ぼくの知るスコットランド人のそれらは、どれもシンプルだ。日本で生まれ育って、否が応でも温暖湿潤な人間関係のなかを歩かされてきたぼくら日本人にとって、それはときに辛いくらい素っ気ないかもしれない。より「自分自身であることを突きつけられる」から。

でもそれはとても大切なことだ。大人になると、役割や肩書、属性が増える。夫、父親、会社員、ぼくなら詩人とか、デザイナーとか、松本在住の人とか。ウチダが詩人をやっているのに、ふと気づくと、詩人がウチダをコントロールしたがる。

ぼくがうっかりそちらへ引き込まれそうになるとき、ぐいと引き戻してくれる自分が、自分のなかにいてほしかった。だから、自分自身であることを突きつけてくれるなんて、もってこいじゃないか。毎年スコットランドを訪ねるのは、詩を書いたり朗読をしたりするのが目的だけれど、「お前はどうありたいのか」と、自分で自分を問いつづけたくて、あの地へ向かうのかもしれなかった。

(10月に予定している第3回・第4回の連載は、現地・スコットランドから、お届けします)

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