暗いぐらいの家 #12 工芸家とキッチンを

仕事が詰まっていて、家はおろか、仕事部屋からも一歩も出ていない。そんな日が、たくさんある。それでも調子よく仕事が進んでいるのなら、問題はない。ところが、そうはいかない。物事というのは、万事、流れていてこそだ。仕事も、お金も、時間も、空気も、命も。

かといって、街に出かけてしまうと、馴染みの店で話が弾みすぎだり、ついでついでとあちらにもこちらにも顔を出したりして、結局帰りが遅れる。ぼくは極力夜に仕事をしないようにしているので、帰りが遅れるということは、もしかしたら、もうその日は働かないということになってしまうかもしれない。

それはまずいのだ。何せ、仕事が詰まっているのだから。というわけで、家を出ずに、気持ちを入れ替える、淀んだ気に流れを生み出すしかけが必要になる。「一日のうちに、何度も、仕事部屋とキッチンを行ったり来たりする」というぼくの習性は、そうして生まれたのである。

紅茶を淹れに、茶菓子を追加しに、簡単な昼食を作りに、午後の珈琲をドリップしに、チョコレートをつまみに、多肉植物の水をやりに、夕食のためのお米を炊きに、食器棚の下に迷い込んだ犬の玩具を見つけに、何をどう書いたらいいのか皆目見当のつかない詩から逃げるために、ぼくは、キッチンへ行く。自宅で仕事をするぼくにとって、キッチンはなくてはならない場所だ。

 

 

▼スコットランド・エディンバラの友人、フレーザー家のキッチン。料理人である夫・スコットが、腕をふるってくれたサーモン料理は絶品だった。海外のキッチンは、コの字型が基本のよう。多様性がないと思うかもしれないが、それはあくまでベースの話。D.I.Y.やリノベーションができ、また年数が長ければ長いほど家の価値が上がるので、実際は自由度が高い。

 

▼スコットの妻・フィオナのお父さん。奥さんとともに暮らすのは、エディンバラからはるか北、ハイランド地方の小さな村だ。このキッチンもやはりコの字型で、オーブンや冷蔵庫、食洗機の位置まで、フィオナの家と同じだった。どちらの家でも、男女関係なく、キッチンに立つ。いい背中だ。

 

 

「フルオーダーのキッチンが良くて、システムキッチンが悪い」という絶対が、もしもこの世界にあるのなら、どんなにか楽だろう。しかし実際、世界は、そんなふうにぼくらを甘やかしてはくれない。残念ながら、この世界に、絶対はない。彼はただ言うだけだ。自分で選べと。

絶対がないと知った上で、自分で選ぶことの最大の恐怖は、「基準を決めなければいけない」という点だ。自分基準を、自分で決める。そしてそのために、つい忘れがちな「自分がどんな人間か」を、そのたびに思い出す必要がある。

完成したときに、すべてが出来上がっている家は、嫌だった。なぜなら、決めてしまったら最後、決めた通りに暮らさなければいけないからだ。そういうあり方を、ぼくは「つまらない」と落胆する人間だ。年齢、家族構成、趣味趣向は、絶えず変わり続ける。そのつど、使うものは変わり、使う場所も変わり、使う頻度も変わる。ぼくは、それらの変化に対して、臨機応変に、生きたい。そのつど気に入った棚や必要な収納容器を買ったり、作ったりすればいい。そのほうが、完成後も、変化の起きる余地があって、楽しい。その余地は多いほうがいい。

以前、家の照明を検討しに、東京まで見に行ったショールームで、システムキッチンも見ることができた。充実が過ぎるほどの優れた機能や、「自分だけの」キッチンを作れる豊富な組み合わせが、売りのようだった。つまりは「なんでもある」キッチンが作れるのだが、そもそもこの家は「なんでもない家」なのだ。これは違うんだな、とそのときに心が決まり、自ずと、キッチンもフルオーダーすることになった。

 

 

▼前田大作さんの「アトリエm4」、父・前田純一さんの「前田木藝工房」は、ともに、松本東部の美ヶ原高原の中腹に、拠点を構えている。

 

 

そこで、お願いしたのが、工芸家の前田大作さんだ。

大作さんと知り合ったのは、2012年。松本の老舗洋食店「おきな堂」が企画したトークイベントに共に出演した際に出会い、その後、ぼくのいくつかの個展開催に、手を貸してくださった。いったいぼくの何がどう大作さんの琴線に触れたのか、今も本当にわからないけれど、とにかく嬉しい展開だった。

正式に、キッチンをオーダーすることが決まり、打ち合わせをすべく、工房をふたたび訪ねたのは、今月中旬のこと。大作さんの工房「アトリエm4」は、松本の東、美ヶ原高原の中腹にある。そこは、今からおよそ30年前、彼の父・前田木藝工房3代目の前田純一さんが開墾した土地で、そのときに建てられた家が、現在、大作さんの工房にもなっている。そこからの眺望は、格段に美しい。道中の林道は空気が澄んで、木漏れ日のなかを、春蝉が軽やかに鳴いていた。

 

 

▼工作機械が並ぶ工房内。南西の高窓から差し込む柔らかな光、出番を待地ながら静かに佇む機械、作業に勤しむ職人の無駄のない動作。独特の緊張感が漂っている。

 

▼大作さんの父・純一さんの鉋。制作する作品によって、どうしても既製の道具では対応できない場合は、こうして必要な道具を自ら作り出す。それにしても、なんと小さな鉋だろう。

 

▼打ち合わせの日、工房では、お弟子さんが一人、黙々と作業に向かっていた。職人や工芸家の多く暮らす松本。幾人か知り合いがいるが、皆、僧侶のような深い静けさがあって、本当に格好いい。

 

 

人とかかわる上で注目すべきポイントは、共通点ではなくて、相違点だと思っている。

たとえば、若い恋人たちは、たいてい、お互いの共通点に恋をする。が、次第に現れてくる相違点に苛立ち始める。このときに、相違点を矯正しようとすると、二人の関係はあっという間に崩れる。また、相違点を愛しすぎても、自己を見失い、足元が覚束なくなる。おぼろげになった他方に不安を感じて、相手はやはり去っていくかもしれない。肝心なのは、「二人は、異なる他人である」という事実を、冷酷に、自ら認めることだ。そして、ときに柔軟に受け入れ、ときに断固として拒む。

当然ながら、設計士の横山さんも、工務店・国興ホームの田中社長や竹内さんも、ぼくとは異なる感性を持つ。皆、プロフェッショナルだから、譲れる部分もちゃんと用意されていて、しかし、譲れない部分も明確にある。ぼくが誰かと仕事をするときに楽しみなのは、相手の譲れない部分がどこで、どれほどのものなのか、を知ること、そしてそのポイントに出くわす体験だ。

これはぼくの勝手な印象だけれど、大作さんの美意識は、ぼくのものよりもはるかに厳しい。ぼくにとってさほどこだわらない部分が、大作さんにとっては見逃せない美意識の最後の一点だったりする。

 

 

▼工芸家・前田大作さん。2015年に松本市内に建てた自宅は、2016年グッドデザイン賞を受賞(デザインは田辺雄之一級建築士事務所によるもの)。新居に遊びに伺わせていただくなかで、ぼくの新居構想にも大いに参考にさせていただいた。

 

▼右から2番目、少し黄色い肌の木材が、栗。木材選びは、木の種類だけではない。一枚板にするか、接ぎ合わせ板にするか。木目も様々だ。いよいよ購入の段階で流通している材のなかから、最良のものを選ぶ。まさに一期一会。

 

 

たとえば、この打ち合わせで、ぼくらがともに頷いたのは、ダイニングテーブルの材質だった。

二つの空間は、段差も壁もない、一面のカウンターとして繋がっている。「キッチンはステンレス、ダイニングは木材」というところまですでに決まっていた。この日は、大作さんが用意してくれた木材のサンプルに触れて、具体的に何の木にするかを決めることになっていた。

壁には、候補となる木材が、何種類も、立てかけられている。オークやウォールナットはいかにも家具らしく、きっとどっしりとした重厚感がある。綺麗だ、けれど、その印象が完成されすぎている気がした。気になったのは、その横にあった、黄色い木。これはと尋ねると、栗だという。はっきりとした木目だけれど、どこか主張しすぎない落ち着いた感があった。節や入り皮も個性的で、経年変化も期待できそうだ。家自体が「暗いぐらいがちょうどいい」というコンセプトだから、家具のトーンは少し明るめにしておいたほうがいいかもしれない、とも思っていた。けっこう素早く「栗がいい」と告げると、大作さんが、笑みを浮かべた。大作さんにとっても「おもしろい」「やりたい」選択肢だったのだと思う。

注ぐ熱量が大きく違ったのは、シールだ。キッチンのステンレスとダイニングの木材、その二つの隙間にシールを貼るか否か。シンクから跳ねた水が入り込み、カビや腐食の原因になる可能性があるため、普通ならゴム製のシールを貼るのだが、大作さんは「貼らなくてもいける」と推した。もちろん受注商品で、施主はぼくだから、「最終的には、考え様だから、ゴウちゃん次第だけど」と冷静さは保って説明してくれる。でも大作さんのなかでは、完全に、美意識が優っていた。それを隠さず、素直に表現してくれることが、心地いい。思いを受け取りやすい。

いっぽうのぼくは、やはり、あまりこだわりがなかった。「シールがなくてスッキリ見えるのもいい」とも思えるし、「シールが微妙な存在感でも、24時間キッチンにいるわけじゃないから、きっとそのうち気にならなくなるだろうな」とも思える。ぼくは決断に迷いが生じたとき、最終的に、「持続可能性が高く、機能的であることを前提に、美しいほうを選ぶ」傾向がある。結局、この打ち合わせでは保留にして、妻の意見をまず採集。妻もおおよそぼくと同じスタンスで、最終的には「まあ、そこまでこだわらなくてもいいかな」とのこと。その後、設計士・工務店との打ち合わせの席では、設計士はやや大作さん寄りの見解、工務店は完全にシール推薦だった。結果、できるだけ美しい仕上がりになるような接着方法で進めることを前提に、ぼくはシールを貼ることに決めた。

 

 

その決定を聞いた大作さんは、きっと「おう、ゴウちゃん、そっち選ぶのかい」と思っているだろうけれど、こうした、それぞれの間に少しずつ起こっている誤差こそが、ぼくは豊かさだと思う。少しずつ違うから、多様性が生まれる。そしてそこから、可能性が広がる。だから、誤差を埋めてはいけない。そこに溝があると、渡るには少し苦労するけれど、裏を返せば、試行錯誤の機会を得られるのだ。どうやったら渡れるのか、案を練る時間は、きっと楽しいだろう。雨が降れば、溝には川ができる。川ができたらしめたもの、何かとびきり素敵なもの——新たな可能性が流れてくるかもしれない。物事は、万事、流れていてこそなのだ。

 

 

 

アトリエ m4・前田木藝工房
〒390-0222 長野県松本市入山辺8961-1345
atelier-m4.com

 

 

 

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