暗いぐらいの家 #10 「快適」と「快感」を見分ける

「パッシブハウス」という言葉を初めて耳にしたとき、ぼくが興味を持ったのは、内容ではなくて、その名前だった。

 

Passive House=消極的な家、受動的の家。なんという、不思議な言い回しだろう。パッシブハウスを語る人たちの話を聞くと、どこかくたびれた気配を醸し出す言葉にもかかわらず、彼らはそれをとても肯定的に受け取っていて、可笑しかった。つまり、「消極的な家を、積極的に選択しよう」「受動的な家を、能動的に選択しよう」と言うのである。

パッシブハウスの実像がわからないまま、ただ純粋にその言葉を聞くと、ネガティブなのか、それともポジティブなのか、皆目見当がつかない。その本心が一体どこにあるのかを探ろうとすると、たちまち霧に包まれて呆然としてしまうこの言葉に、ぼくは魅了された。

 

恐れ多くも、素人のぼくが、パッシブハウスを簡単に要約させていただくとしたら、それは「地球にも、人間にも、持続可能な家」のことだと思う。エコで、低燃費で、環境への配慮が行き届いた家。なおかつ、夏の暑さも、冬の寒さも、苦にならない、快適な家。

ぼくが魅了された「Passive=消極的・受動的」という言葉の意味するところは、つまり、「建物自体の性能を高めることで、Active(積極的・能動的)な冷暖房器具が不要になる」ということだった。

 

 

 

▼自由で豊かな生きかたには、それなりの努力が要る。自分が納得できる家づくりをしたいなら、建築のこと、住宅事情のことはもちろん、自分の暮らしはこの地球上でこれからどうあるべきかまで、学んでおかないとならないと思った。『あたらしい家づくりの教科書』は、そのために読んだ書籍の一つ。

 

▼パッシブハウス、高気密高断熱住宅には、批判的な見解も多い(特に建築家から、という話を度々耳にした)。加えてメーカーの知識や意識もこれから、いまだ発展途上な日本では、施主自らが積極的に学ぶ必要がある。とても丁寧に、紳士的な態度で解説されていて、本当に良い勉強になった。

 

▼パッシブハウス・ジャパンのウェブサイト。「建築の省エネを通じて、地球環境と住環境を良くする」ために、地球にも人間にもガマンをさせない家を増やそうと、情報発信と日本の風土に合わせた省エネ基準設立を目指している。クールなデザインに、情熱的な文章。読んでいて、楽しい。

 

 

パッシブハウスについて、さらなる事細かな説明は、既刊の書籍やウェブサイトにお任せしたい。読めばわかるが、寄稿した建築家や工務店、その情報をまとめた編集者の努力と熱意が、それらの書籍には詰まっていた。にわか知識をぼくのエッセイでまた聞きするより、彼らがしたためた正しい情報を自分で読むほうが、百倍、為になる。

例えば、2016年夏に、新建新聞社から発行された『あたらしい家づくりの教科書』が語るのは、パッシブハウスの概念だけではない。日本の現在の住宅事情や世界基準との比較、燃費や健康・高性能・気密といった住宅言語の正しい見方など、これから日本で家を建てようとする人たちにとって重要な選択肢を、最前線のエキスパートによる丁寧な解説とともに、提案してくれている。

 

 

 

 

打って変わって、内省的な話題になる。

 

10〜20代にかけて、国内外で、いくつもの恐ろしい事件やテロが起こった。そのおかげで、「この世界を自分はどう生きるのか」、そのことでぼくの頭は一杯だった。その後も、自分の一挙手一投足が、社会に、世界に、地球環境に、どんな影響を与えるのか、そのことを無視して突き進むことはできなくなっていた。学生時代に、貧困や紛争、環境問題などの社会課題の解決を模索するNPOに参加したり、NGOの広告制作に積極的にかかわったりしたのも、その影響だと思う。

いっぽうで、高い使命感や強い正義感に、自分自身が翻弄されていく感覚があった。それそのものが悪、というわけではもちろんない。ただ、時として、自分が正しいと信じるもの以外の物事に対して、排他的・高圧的・暴力的な態度を取らせることがある。それでは、本末転倒じゃないか。そんな人間にはなりたくないと思った。

 

「家を建てる」というこの岐路で、ぼくは、使命感や正義感に依りかからずに、力みのない、穏やかな選択をしたかった。純粋無垢に、ヴィジョンを描いてみたい。「自分史上、最高の居場所」を作るのに必要なのは、他者から受け売りした正しさでもなければ、自ら盲信する正しさでもない、自分のなかの「自然」に静かに従うことではないか——そう思った。

だから、パッシブハウスに関する書籍を数冊読んだら、ひとまず一切を忘れて、ただただ、住みたい空間を、画に描いた。誰と、どんな場所で、どんな暮らしを、どんな気持ちで、どんな表情で、どんな会話をしながら、何を心地いいと感じて、生きていきたいのかを、描いた。

 

画を起こしてから、もうすぐ一年が経とうとしている。上記のような理由で、当初、高気密高断熱という設定はなかった。凄腕だよと知人に紹介してもらった大工さんに依頼しようかという展開もあった。高気密高断熱という選択肢が再浮上したのは、まだ昨年末の話だ。初期コストの概算が出て、資金繰りの目処が立ち始めたことも再浮上の要因の一つだけれど、最たる理由は、地球にとっても快適な家が、純粋に自分にとっても心地の良いものだと、改めて思えたからだ。おそらく、この路線でいくのだけれど、それもまだ正式には決まったわけではない。最後の最後、ギリギリまで、流れる「自然」に従ってゆく。

 

 

 

快適は、快感とは違います。快適な空間では、体は最小限のストレスで放熱量を維持でき、体の各部位が適温に保たれます。暑さ・寒さといった感覚も生じることなく、体も心もリラックスしたまま、ずっと長く居続けることができるのです。

(前真之 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻准教授)

 

 

 

これは、『あたらしい家づくりの教科書』にあった一節。読んだとき、これは家の話だけれど、人間の話でもある、と直感した。

詩を書いて暮らすぼくの生きかたは、もちろんそこかしこに快感を覚える瞬間があるけれど、だからこそ選んだのではない。そレガ、ぼくにとっては最もストレスが少ない、最も快適な生きかた——自分のなかの「自然」を、破壊することなく、豊かなまま残してあげられるありかただと思ったからだ。

現代社会が多くの場面で出くわす困難の大半は、もしかしたらこの「快適と快感の混同」に起因するのかもしれない。

 

 

 

▼後述の伊藤菜衣子氏。年に一度会うか会わないかだけれど、夫の池田英紀氏とともに、「暮らしかた冒険家」である二人のアクションは、目が離せない。とても刺激を受けている。

 

▼暮らしかた冒険家の「札幌の家」。築31年の民家をDIYでリノベーションした上で、さらに高性能なエコハウスへと再リノベーション。その様子は、facebookでも垣間見ることができて、場所は違えど、寒冷地に暮らす我が家にとって、一つの指標となった。

 

 

 

ちなみに、上述の『あたらしい家づくりの教科書』で編集を担当したのは、まだ20代の頃、似たような界隈で各々活動していた同世代の友人、伊藤菜衣子だ。当時は直接会うことがなかったけれど、数年前にようやく対面した。詩集『空き地の勝手』や、その英語版『Rules in A Vacant Lot』の表紙写真は、元来フォトグラファーである彼女によるものだ。

今は北海道・札幌に居を構え、夫の池田秀紀(普段はジョニィと呼んでいるから、こう書くのはなんだか照れくさい)とともに、「暮らしかた冒険家」名義で、様々なジャンルを渡り歩いている。最近では、自宅を高性能なエコハウスへとリノベーションして、実体験とともに、情報を発信し続けてくれている。ぼく自身、今回新築を考える上で、とても参考になった。この場を借りて、感謝の気持ちを伝えたい。

 

 

 

『あたらしい家づくりの教科書』
newecohouse.net

 

一般社団法人パッシブハウス・ジャパン
passivehouse-japan.org

 

暮らしかた冒険家
www.meoto.co

 

 

 

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