暗いぐらいの家 #8 薪ストーブという象徴

いまぼくらが暮らしている貸し家は、築50年以上の一軒家。夏場は快適だけれど、冬場は本当に寒い。キッチンの蛇口が凍るのは、当たり前。寒い日に、ファンヒーターをつけようと表示をみると室温2度と書かれていたり、室内気温が寒すぎて頭が締めつけられるのか、朝目覚めた時点ですでに頭痛や肩凝りがしたりする。

 

 

 

 

山好き・寒冷地好きのぼくにとっては、それはそれで楽しめるのだけれど、海育ち・南国好きの妻にとっては、嫌なんだそうだ(当たり前か)。それに、松本へ移り住んだ20代の頃と比べて、体力・回復力も衰えてきている。いつまでもこの状況というわけにもいかなそうだった。

新築の話が持ち上がったとき、真っ先に「暖かい家に住みたい」と妻は言い、そして、これは絶対という目で、「薪ストーブがほしい」と言った。だからまだ見ぬ我が家は、「薪ストーブがある、冬、暖かい家」というのが、まず最初の前提となった。

 

まずは、どんな薪ストーブがあるのか、知らなければならない。何社ものカタログを読みあさる作業が始まった。美しさだけでも選べないし、性能の良さだけでも選べない。高い性能と美しさを兼ね備えた「機能美」のあるものが、もっとも望ましい。そのほうが、長く愛せるし、初期投資は高くても、結果、消耗品費や維持費といったランニングコストは安くできる。デザイナーという仕事柄か、頭ではそう理解していても、やっぱり立ち姿の美しいものや、アイデンティティが全体と局所どちらともに行き届いているものに、惹かれてしまう。
なかでも、とりわけ目を引いたのは、JØTUL(ヨツール)というノルウェーの薪ストーブ。いくつもあるラインナップのうち、特にひとつの薪ストーブがまるで「潜水服」のようで、目を奪われた。

 

ぼくが持っている薪ストーブの知識なんて、ないに等しい。薪ストーブと聞いて思い浮かぶいくつかのビジュアルはひとつしかなくて、真四角で、天板がやや広く、開口部は観音開きの、火室の窓にはアーチがかかっている、アメリカンな薪ストーブ。ところが、JØTULの薪ストーブF305は、ぼくにとって、新鮮そのもの。萌えてしまった。

とはいえ、見た目だけで魅了されて決めてしまうのは、恐ろしい。近場で実物を見ることができて、性能についての説明や、計画している家に合うのかどうか調べてくれる業者はないものか探したところ、池田町の「山風舎」が扱っているという。設計士の横山さんとぼく、そして、薪ストーブのある家を心底願って止まない妻の3人で、尋ねた。

 

 

 

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担当してくれたのは、小林重雄さん。地元は長野県大町市。Uターンするまで、東京を中心に、仲間たちとチームを組んで、店舗の内装業をしていた。最近のD.I.Y.ブーム(一過性の流行ではなく、文化になってくれたら嬉しい)にみる、工事現場で使用済みとなった足場板を使ったり、ベニヤに塗装をしてわざとユーズド感を出したりするのを、その当時いち早く取り入れていたと言う。今回ぼくらの家が、施主自らによってデザインされていると知って、身を乗り出して(時間も大幅にオーバーして)話を聞いてくれた。

 

 

 

 

 

JØTULの薪ストーブは、鋳物製。鋳物は、鋼板製の薪ストーブに比べて、本体が暖まるまで時間がかかる。代わりに、蓄熱性に優れているため、一度本体が暖まれば、部屋の暖かさも長い時間維持できる。さらに、遠赤外線によって、熱の向かった方向にある物体(例えば、壁面、床、人体)自体を暖める作用もあるので、体感温度が上がる。室温の低さが、そのまま「寒さ」には直結しない。じわじわ伝ってくる暖かさ。いまの貸し家に完全に欠落している暖かさ、妻が恋い焦がれる暖かさだ。
もう一つ、魅力的なのは、簡単に分解できること。部品をひとつずつ見てみると、取付方向や位置のマーキングもされていて、再組立時のことも考えられていた。それによって、メンテナンスやパーツ交換が容易にできる。薪ストーブのオフシーズンとなる夏、業者が薪ストーブを導入している家々にメンテナンスに入る。取付や分解が容易なら、そのコスト(メンテナンス料は時間制で、一定時間を越えて延長すると加算される場合がある)も計算しやすい。

 

 

 

 

 

 

薪ストーブ選びを通して、ひとつ、悩んでいることがあった。性能を比較しても、当然ながら、どの商品も、その差は僅かだ。この点が秀でれば、あの点でやや劣ったりする。であるなら、最終的には何を決め手にすればいいのか。山風舎の小林さんの返事はこうだった。

 

「好きなデザイン、気に入った表情。最終的な決め手は、結局、それになるかな。」

 

JØTULの生まれ故郷、北欧ノルウェーは、冬の日照時間が短いのに加え、最低気温がマイナス40度にもなる地域もあるとか。冬のあいだ、日没後の暗く寒い夜を、室内で過ごす彼らにとって、薪ストーブは、必要不可欠なものだ。でも、それは暖房設備としてのみではない。いやむしろ、「安らぐもの」「楽しむもの」として重要なのだという。この解釈は、ノルウェーに限らず、北ヨーロッパ全体に共通するのではないかと思う。その最たる理由は、日本とヨーロッパでの異なる住宅事情によるものなのだけれど、それについては、改めて別の機会に話したいので、割愛する。
要は、薪ストーブというのは、「暖房」の道具でもあるが、それ以上に「団欒」の象徴なのである。だから、「長いあいだ、さまざまなデザイナーが、美しい薪ストーブをデザインし続けている」のであり、「炎の揺らめきや燠火の煌めく様子を観賞できる火室窓が重宝されるのもそのため」なのだそうだ。

 

リビングの中央、どこからでも見えるところに、薪ストーブがある。この道具に求められるのは、優れた性能だけでなく、「ずっと見ていたい」「同じ空間に一緒にいたい」と思える美しさ、でもあった。
暮らしの中心に、心から美しいと思ったものを、据える。駆け足で過ぎてゆく時代のなかで、その観点から薪ストーブを家に置くというのも、なにか示唆に富んでいて、好きだ。家作りは、本当に、人生の勉強になる。当然かもしれない。家は、ぼくらが日々、生きる場所なのだから。

 

 

 

 

山風舎
〒399-8602 長野県北安曇郡池田町大字会染9004-9
www.sanpuusya.com

 

 

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