詩集『空き地の勝手』制作秘話 2

 

制作秘話後編は、詩集『空き地の勝手』表表紙に使われている写真について、そのストーリーを少し。その前に、まずこの素敵な表表紙の写真を撮影してくれたカメラマンをご紹介します。

 

 

伊藤菜衣子さん。フリーのカメラマンとして、企業あるいはNPO/NGOなどのうち、ソーシャルかつチャーミングなコミュニケーション力のある活動(これはぼくの解釈)に必要な広告写真を撮影しています。写真の仕事で、とくにわかりやすいところだと「100万人のキャンドルナイト」。毎年夏至と冬至の夜に「でんきを消して、スローな夜を」過ごすこのムーブメントは、今や定番化してきていますが、そのキャンドルナイトのメインビジュアルを撮影しているのが、彼女。

出会ったきっかけは、コピーライター・マエキタミヤコ率いる広告会社サステナ。が、ぼくは、自分が無学無知なところからポッと広告制作に手を染めるようになったことになんとなく引け目を感じていたので、あのときはサステナに出入りする仕事人たちに、大して声をかけられずにいました(笑)。よって、菜衣子氏とも、ほぼ会話ゼロ。

それが、2010年、ぼくが松本市に移住、独立したのをきっかけに、少しずつ話をするようになり、そして11月末、伊藤菜衣子とその夫でウェブディベロッパーの池田秀紀が、数日間、我が家に滞在したのです。そのときの様子が下の写真。

 

 

これ、何してるところだろう(笑)。ふざけているとか、パフォーマンスとか、そういった類いの写真ではなかったはず。確か、「ストーブにかけたヤカンの湯気がいい感じだからUstreamで流そう!」みたいなことになった、その準備かもしれない。(Ustream番組「channel0053」をぼくがやるようになったのは、彼らがこの日土間でやっていたことの影響。)

「寒い寒い」といいながら、温泉に入ったり、美味い洋食に舌鼓を打ったり、とにかく松本滞在を楽しんでくれました。今でもあの展開は何だったんだろうと不思議に思いますが、とにかく、気がついたら、ずいぶん仲良くなっていた(笑)。で、お願いをしたのです。「気合いを入れて作る詩集があるから、写真を頼みたい」と。快諾してくれました。

 

 

それから半年後、2011年5月末。東京で写真撮影を行ないました。東京はもうすでに蚊が大発生していて(松本の、とくに我が家ではまったく見なかった時期)、まったく刺されないぼくの分を一身に背負って刺されつづけながら、菜衣子氏は撮影を続けてくれました。下の写真は、その撮影風景。おじさんが、普通に目の前を通過している。ロケ感ない(笑)。

 

 

当初、こんな表表紙になるプランではありませんでした。完成した今回の詩集、表紙に登場しているのはぼく自身ですが、当初の予定では、あるストーリーに沿って、別の人に演じてもらうことになっていました。

が、撮影日はあいにくの雨天、撮影は中止になり、その後その演者のアポイントメントも抑えることができませんでした。このままだと、時間ばかりが過ぎていってしまう。じゃあもういっそ、自分で出ちゃおう。ロケ地も別の場所に目星をつけていたけれど、もうこの際だ、身近なところでやっちゃおう。この表紙の写真は、そういう土壇場での、会心の作なのです。

 

 

こんなことをしてみたり、

 

 

紅茶を味わったりしてみたなかの、

 

 

これだったのです。

 

当時東京で暮らしていた彼女は、2o11年の春、夫婦で熊本に移住(彼ら曰く「移動」)し、「暮らしかた冒険家」(研究家ではない。生活の現場では実際には何もしていない研究家ないし研究へのアンチテーゼも込められているのだそう)を名乗って、廃墟に近い築100年の町屋を借りて、1年間自分たちでリビルドしながら、暮らしています。リビルドを地元の学生や職人たちも交わったり、あるいはこれまでの仕事で出会った地方の建材を用いたりと、彼らの熊本暮らしをインターネット上で見ていると、その関係性の豊かさに惚れ惚れします。

 

 

制作秘話前編でも触れましたが、「作品は作者が手がけるもの。本は作者、編集者、デザイナー、印刷屋、本屋、読者が手がけるもの。」という意識がぼくにはあったので、してきなしごととして最初に出版する詩集に、彼女に手を貸してもらえたことを、とても嬉しく思っています。どうもありがとう、菜衣子ちゃん!

 

 

 

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